手の中の風

ハイティーンの頃、岩波文庫から出ている『ルバイヤート』を愛読していた。
禁酒禁欲なイスラム文化にありながら、酒や色を謳うこの詩集の在り方が何となく面白くて、まだ酒の味も異性の肌も知らない子供のくせに愛読していた。


一番好きだった詩がタイトルに挙げた言葉の出てくる詩で、「ないものの中にも手の中の風があり/あるものの中には破壊と崩壊しかない」というような感じだったと思う。
知っているだけで自慢できそうな、かっこいい言葉の連なりが単純にかっこよくて、その頃の私がその詩を愛したのはただそれだけのことだった。


でも倍の時間を生きた今になって、手の中の風を痛切に感じる。


若い頃の私は文学とか哲学とか美術とかに比較的傾倒していたのだけど、病名は付かないまでも貧血気味で体の調子が悪かったのがその原因だった。(何となくいつも気持ちが重いと、人間はそういった方面に救いを求めるものなのかも知れないと今になって思う。)
20代後半以降、幸いにして健康を取り戻し、それはとても喜ばしいことだったが、反面、元いた世界へ向かう気持ちが薄れてしまった。それは少なからず私を困惑させた。


ずっとなぜなのか分からなかったけど、これらの因果に気付いたとき、ああこれが無常感というやつかと思った。
影が無くなることは良いことばかりではないのだ。


最近は老いを感じることもある日々で、また少し手の中に風が戻ってきた。そしてその風は私を勇気付ける。